ボウリンググリーン州立大(オハイオ州)から63年ドラフトの全体3番目に指名された同氏は、当時サンフランシスコに本拠を置いていたウォリアーズに入団。1試合100得点のリーグ記録を保持していたウィルト・チェンバレン(故人)が当時の主力センターだったが、64年シーズンに76ersにトレードされて先発に昇格した。
2メートル11の長身を利して攻守両面で活躍。67年シーズンには20・5得点、22・0リバウンドと、リバウンド数が得点を上回った。70年代前半にレイカーズの名センター、カリーム・アブドゥルジャバーと繰り広げたゴール下のバトルは当時のハイライト場面にもなった。
ブルズにトレードされた74年シーズンのホークス戦(10月18日)では22得点14リバウンド13アシスト12ブロックショットをマーク。これが公式記録上、NBA初のカドラプルダブル(4部門2ケタの成績を残すこと)となり、現在まで達成した選手はまだ4人(計5回)しか誕生していない。
75年シーズン、最初の13試合をブルズでプレーしたあと、サーモンド氏はオハイオ州クリーブランドを本拠にしているキャバリアーズに移籍。76年シーズンのプレーオフ東地区決勝でセルティクスに2勝4敗で敗れ、これが現役最後の舞台となった。コート上では荒々しいプレースタイルを見せたがコートを離れると人格者。殿堂入りも果たし、NBAのファンと選手からは絶大な人気と信頼感を集めていた。
通算14シーズンで964試合に出場して15・0得点、15・0リバウンドとこの2部門の数字は同じ。球宴には7回選出され、NBAの「伝説の50人」にも選ばれた。キャバリアーズでは62試合にしか出場していないが、オハイオ州アクロン出身ということもあって42番はウォリアーズ同様に永久欠番となっている。
くしくも今年のファイナルの対戦カードはキャバリアーズ対ウォリアーズ。同郷の英雄の死に対し、ファイナルでMVPとなったキャバリアーズのレブロン・ジェームズ(31)は「同じリーグでプレーしたあなたがいたからこそ、私には希望があった。ありがとう」という感謝のコメントを残した。
キャブスとウォリアーズのレジェンドのネイト・サーモンド氏がなくなったのか…。
NBA界で4人しか達成していないクアドルプル・ダブルで有名な選手でしたね。
今年のファイナルは素晴らしい試合になった。
ネイト氏も嬉しかったやろうな…。 pic.twitter.com/7f2cOm1QQY— KSGNo8@実況復帰は夏頃に!? (@singsho32) 2016年7月17日
ネイトサーモンド亡くなった
ニュースがショックすぎる…
レジェンドがまた1人逝ってしまった— ながたかふみ (@610takafumi) 2016年7月17日
うわっと、NBA50にも選ばれてるネイト・サーモンドがお亡くなりに?ご冥福を
— soma (@somatomo) 2016年7月16日
ネイト・サーモンドって、あのみんな大好きボウリンググリーン州立大の出身なんですね。アントニオ・ダニエルズの先輩か。
— あざみOfTheGalaxyVol.2 (@O_MillerTime) 2016年7月17日
チェンバレンがシクサーズに行かなければ
チェンバレンとサーモンドのツインタワーが見れていたかもしれないというカスみたいなたらればです…— 抹茶 (@nuggets01415) 2016年7月17日
ネイトサーモンドとチェンバレンって一緒にプレーしてた時期あったんだ
一試合あたりのキャリア平均リバウンド数歴代トップ5の2人が同じチームってすげーな— ライ@SAS (@sas_25bb) 2016年7月16日
サーモンドよくオラクルに来ていてくれて、まだ健康そうだったのに 残念
— 沈黙のEanas7.1艦隊 (@Eanas_77) 2016年7月16日
元ウォリアーズ他:ネイト・サーモンド氏が死去 – Yahoo!ニュース https://t.co/M3yfAflw2Q #Yahooニュース→クォドラプル・ダブル(1試合で得点、アシスト、リバウンド等のうち4項目で2桁を記録)をNBAの公式記録として初めて記録した選手。
— ともしぃ(とも♂/しぃ♀) (@anpontomo) 2016年7月17日
ちなみに歴代の達成者はアルビン・ロバートソン(唯一のガードでの達成者)、ハキーム・オラジュワン(唯一、2回達成している)、デビッド・ロビンソン、そしてネート・サーモンドの4人だけになる。
— ともしぃ(とも♂/しぃ♀) (@anpontomo) 2016年7月17日
さらに言うと…サーモンド、オラジュワン、ロビンソンはセンターなので「得点」「リバウンド」「アシスト」「ブロックショット」の4項目での1試合2桁記録だが、ロバートソンは「ブロックショット」ではなく「スティール」での記録となっている。
— ともしぃ(とも♂/しぃ♀) (@anpontomo) 2016年7月17日
サーモンド物語①=NBA誕生50周年にリーグを代表する50人に選ばれたネイト・サーモンド氏は211cm。ボウリンググリーン州立大から63年ドラフト全体3番目に当時サンフランシスコに本拠を置いていたウォリアーズに入団。しかしチームには1試合100点のチェンバレンがいた。
— Masaya Takayanagi (@tallwillow23) 2016年7月17日
サーモンド物語②=ウォリアーズは65年1月15日、76ersにチェンバレンをトレード。ここからサーモンドが主力となる。2季目のこのシーズン16.5点、18.1R。67年シーズンからは4季連続で20点以上。68年シーズンには20.5点、22.0Rとリバウンドが得点を上回る。
— Masaya Takayanagi (@tallwillow23) 2016年7月17日
サーモンド物語③=70年代前半、レイカーズのアブドゥルジャバーと張り合える西地区ただ1人のセンターとして活躍したあと、33歳と衰えが見え始めた74年の開幕前にブルズへトレード。このシーズンのホークス戦で22点14R13A12ブロックで公式記録上、史上初のカドラプルダブルを達成。
— Masaya Takayanagi (@tallwillow23) 2016年7月17日
サーモンド物語④=75年シーズンはブルズで13試合に出場したあと、11月27日に故郷オハイオ州のキャブスにトレードされる。ポストシーズンではブレッツを4勝3敗で下し、東地区決勝に進んだがコーエンス、ホワイトらのいたセルティクスに2勝4敗。これがサーモンド最後のシーズンとなる。
— Masaya Takayanagi (@tallwillow23) 2016年7月17日
サーモンド物語⑤=NBA通算964試合で平均で得点もリバウンドも15.0。10シーズン以上の在籍選手で、2部門の数字をきっちり同じにしたのはこの人だけ。キャブスではわずか62試合しか出場していないが背番号42は永久欠番。コート上での荒々しさとは対照的に人格者。だから尊敬された。
— Masaya Takayanagi (@tallwillow23) 2016年7月17日
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