NBAコミッショナーだったデヴィット・スターンが亡くなった。77歳だった。3週間前におきた脳内出血の結果だった。1984年から30年NBAを率いて、グローバル化やマーケティング、社会的責任プログラム等を導入し、世界で数10億人ものファンにNBAを届けた。2014年に殿堂入り。https://t.co/IeWLtHqRCZ
— NBA Reporter (@nbareporterjp) 2020年1月1日
故デビッド・スターンへの追悼ツイートが飛び交っていますね。文字通り巨大なリーダーだった前コミッショナー。個人的な最大の思い出は、やはりダンクシュート @dunkshoot の200号記念の際にNBAオフィスでインタヴューさせてもらったときのこと。そのカリスマ性に圧倒され、質問するだけで精一杯でした pic.twitter.com/PWEHGP4L2Z
— daisuke sugiura 杉浦大介 (@daisukesugiura) 2020年1月1日
1984年から2014年まで30年間に渡り NBAコミッショナーを務めたデビッド・スターンが他界しました。(享年77歳)
現在のNBAの世界的成功は彼の存在なくしては決して有り得ませんでした。心の底から感謝、そしてご冥福をお祈りします。
RIP David Stern. https://t.co/4dZhPfG40a
— cata.@NBA (@ct_nba) 2020年1月2日
闘病中だったデビッド・スターン前コミッショナーが亡くなった。彼が就任する数年前に初めてNBAを取材したが当時、海外メディアは「邪魔者」「不審者」扱いだった。最初に取材票をもらった試合に来ていた海外メディアはイタリアとイスラエルの雑誌、そして自分の3人だったのをよく覚えている。
— Kench (@Kenchsden) 2020年1月1日
スコット ブルックスHCによるデビッド スターン前NBAコミッショナーへの追悼メッセージ pic.twitter.com/BpeshDfjN5
— ワシントン バスケットボール (@washwizardsjp) 2020年1月2日
今のコミッショナーもすげー不健康そうで不安
とにかくNBAの発展に関しては、とても大きな功績を残した人だった
グランマジョンソンと出会って、バッシュやバスケが好きになったのも、スターン氏の働きのおかげだろうし
冥福を祈る
ジョーダンとかスターにも恵まれたけど
給料は今の十分の一
で、初代ドリームチームへ
ブーイングはお決まりだったよ
ロッドマンも叩いてた気がするが、殿堂入りさせてもらって
「俺をこの建物に入れてくれるだけでもありがてえ」とかスピーチの最初から最後まで号泣してたなw
お悔やみだから良い事しか言わないんだけどバークレー感謝してたよ。ちょうどスターンがコミッショナーになった時
バークレーはドラフトされたんだけど、「その時のNBAプレーヤーの平均年俸は20万ドルだった、これでも
大金なのは分るんだけどスターンのおかげで今の選手の平均年俸は770万ドルになった」って言ってた。
NPB見たら、30年前は13万ドルぐらいで今35万ドルぐらい。これも日本の物価考えたらかなりの上昇だけど
NBAの成長の度合いがよく分る。
今のNBAの世界的成功もなかった。
1990年にアメリカ以外で初めて
公式戦を日本で開催してくれたのもスターンのおかげ
コメント
今のNBA人気はスターン氏の存在なくして絶対にあり得なかったしマジックの伝説のオールスターも無かったかもしれないし本当に偉大な存在だっただけに残念
ABAとの統合とかものすごい大事業こなしてるよね
冥福を祈るよ
去年八村の名前をスターンによんで欲しかったとちょっとだけ思ったな… 長年選手たちとは別の形でNBAの顔だった人だ