ニュース要約
■記事によると
・2004年アテネ五輪で金メダルを獲得したアルゼンチン代表の元ガード、ペペ・サンチェスが「リディームチーム」の2025年殿堂入り発表に不満を示した
・殿堂入りには2008年北京五輪のアメリカ代表「リディームチーム」が選出されたが、2004年のアルゼンチン代表が先に評価されるべきとサンチェスは主張した
・サンチェスは「小国だから無視されている。アメリカ人だったら殿堂入りしていた」と述べ、国の規模で扱いが異なることに疑問を呈した
・また「彼らはリディームチームと呼ばれていたが、何からの贖罪だったのか」と疑問を投げかけた
・さらに「コーチKやポップ、レブロンに聞いてみれば我々の評価が分かる。美しいバスケットをしていたし結果も出した」と語った
・「個人ではなくチームとしての評価だ。テニスではなくバスケットボールなのだから、殿堂入りするなら我々を無視するのはおかしい」と強調した
・リディームチームは五輪参加の意義をアメリカのNBAスターに取り戻し、世界的にバスケットを押し上げた点で評価されている
・しかしアルゼンチンを差し置いて選出したことは「第1幕から第3幕に飛んで第2幕を抜かすようなもの」と批判した
・最後に「アメリカが無視されていたら大騒ぎになっていたはずだ」とし、将来的な殿堂入りに期待を示した
この話題への反応は様々だ
ペペ・サンチェスが「彼らはいったい何から贖っていたんだ?」と語った件については、まず「核心を突いている」という共感が目立つ。殿堂は世界のバスケット史を称える場で、2008年の代表が“期待通りに勝った”ことを根拠に称揚されるのは米国中心的だという指摘が多い。ドリームチームの殿堂入りは普及と歴史的影響の大きさで納得できるが、それ以降の米国代表を同列に扱う理由は薄いという声だ。
一方で「贖い」の物語性は事実だとする反論も根強い。2002年の自国開催でのベスト8敗退、2004年の開幕戦大敗と銅メダル、2006年も銅という流れを受けて、2008年の金メダルは代表プログラムの立て直しを象徴したという見方である。ただし、その物語が殿堂入りの決め手になるべきではないという点では多くが一致している。
議論の重心はアルゼンチンの再評価に移る。2004年の金メダルは「史上でも最難度の偉業」との評価が多く、格上のタレントを揃えた米国を倒した価値は、相手の不備を口実に矮小化すべきでないという主張が相次いだ。マヌ・ジノビリがキャリア最大の達成と語ってきた文脈や、2002年にNBA選手主体の米国代表を国際大会で初めて破った事実、人口規模や育成インフラの差まで挙げながら「殿堂に入るべきはまずアルゼンチンだ」という意見が強い。
そもそもチーム単位の殿堂入りは是か非かという根本論も白熱した。優勝やメダル自体が偉業の証明であり、殿堂は個人や歴史の語りを中心にすべきだという慎重論がある一方、競技史を物語る上で特定のチームを記録する意義はあるという肯定論もある。とはいえ米国チームの扱いだけが厚くなる偏りは避けるべきだという点では一定の合意が見られた。
展示や制度の偏在を指摘する声も続く。殿堂の国際枠の展示が小さいという体験談や、FIBAにも殿堂があるのになぜ評価が分散し、国際的功績の可視性が低いのかという制度面の疑問が挙がった。加えて、2008年よりも完成度で2012年代表を推す声、あるいは「2008年が“リディーム”と呼ばれるのは2004年があったからだ」という因果関係の確認もあり、結論としては「サンチェスの一言が議論の核心を鮮明にした」という受け止めが広がっている。
総じて、賛否の軸は二つに集約される。ひとつは殿堂の物語を誰の視点で紡ぐかという価値観の問題。もうひとつは2000年代の代表戦史を正しく配列すると何が起点で、何が象徴かという史実の整理だ。多くの声は、2008年を称える前に2004年の偉業とその広がる意味を先に刻むべきだと結んでいる。
ネットの反応
今すぐにでも修正すべきだ。
1963年から2002年まで誰も選ばれなかったのに、この23年で10チームも入ってる。
なら最終的に男子のオリンピック金メダルチームは全部入れるのか?2000年の「ビンス・カーターがフレデリック・ワイスを飛び越えたチーム」まで?
あれはアメリカの金メダルより価値ある実績だと思う。


コメント
そもそも◯◯年の◯◯チームを殿堂入りっていう概念が謎
金メダルを取ったならそれが最大にして唯一の勲章だし
さらなる付加価値を求める意味がわからん
誰が求めてるんだこれ
FIBAの殿堂じゃねえし
基本的にアメリカのバスケ史にとって意味があるかどうかだろ
チームとして選出されてるのだってそういうことでしょ
1976年女子オリンピック代表は銀メダルで選出されてるし