ニュース要約
https://www.totalprosports.com/nba/russell-westbrook-raw-emotions-kevin-durants-shocking-exit-thunder/
■記事によると
・ラッセル・ウェストブルック(ロサンゼルス・クリッパーズ)がケビン・デュラント(ヒューストン・ロケッツ)のオクラホマシティ・サンダー退団時の心情を明かした
・ウェストブルックは動画で「怒り、苛立ち。チャンスを逃した感覚。『嘘だろ、あのチームに行くはずがない、俺たちを倒したばかりだ』と笑うしかなかった」と述懐
・デュラントはウォリアーズで3季在籍、3年連続NBAファイナル進出、2度の優勝と2度のNBAファイナルMVPを獲得した
“I’m pissed. I’m livid. I feel like we let that opportunity slip away. I start laughing instantly I’m like this can’t be true, nah no way (KD) would go to that team, they just beat us.”
– Russ on KD leaving
(h/t @TheWestbrookEra )
— NBACentral (@TheDunkCentral) September 16, 2025
ラッセル・ウェストブルックがケビン・デュラントのサンダー退団に対する当時の心情を語ったことに、ファンの反応はさまざまだ。
多くの人は、ウェストブルックが「自分は当初あまり良くなかった。ケビンは本当に偉大だった」「僕らは同等ではなかった」と振り返った点に驚きを示している。これまで「自分の方が優れていると考えていた」というメディアの物語とは真逆で、自己を省みる率直な姿勢に好感を持つ声が目立った。「ケビンが早くから偉大だったのに、自分は追いつくまで時間がかかった。その頃には彼はもう去っていたという意味に聞こえた」という解釈もあり、この内省がウェストブルックの怒涛のMVPシーズンを後押ししたという意見もあった。
また、当時から彼は自分を客観視していたという指摘も多い。当時のリーグではポイントガードが攻撃の中心になるのは異端視されていたこともあり、「世間の反発を一身に浴びていたが、ただ猛烈な運動量でチームを引っ張ろうとしていただけ」「欠点を性格の問題と結びつけるのは違う」と擁護する声もある。インタビューでは非常に知的で、ただ感情的になるとそればかりが印象に残ってしまうという意見や、「常に全力で、限界を知らずにやりすぎてしまう時があっただけ」との声もあり、「レブロンやヨキッチのようにバスケを計算づくでやるタイプではなかったが、悪いチームメイトではなかった」という評価も寄せられた。
一方で、デュラントの移籍決断そのものには今も強い否定的感情が多く見られた。「3勝1敗から逆転されて敗れた相手にそのまま移籍したのは競争心に反する」「リーグ史上最も弱い決断」「スポーツの本質である苦難や克服、再挑戦という要素を否定した」との声が相次ぎ、「マイアミに移籍したレブロンより何倍も弱い」「ウォリアーズはKDの前後でも優勝していて、彼なしでも勝てると証明してしまった」とする意見も多い。「ステフが去った後も優勝したことでKDのレガシーは完全に損なわれた」「ヨキッチやヤニスの1回の優勝の方が価値がある」と比較する声もあった。特に「負けた相手に加わることで、史上最高の73勝チームとレブロン率いるキャブズという宿命の対決を壊した」「競争そのものを台無しにした」との怒りも強かった。
さらに、「当時オクラホマシティはアル・ホーフォード獲得が有力視されていた」「もしデュラントが残っていればポール・ジョージも加わっていたかもしれない」「ウェストブルック、ロバーソン、ジョージ、デュラント、ホーフォード(またはアダムズ)という布陣は凄まじかった」という惜しむ声も多い。結果的にチームはシャイ・ギルジャス=アレクサンダーやジェイレン・ウィリアムズ、チェット・ホルムグレンらに切り替えて優勝に至ったが、「プレスティGMがいた限りどちらにせよ強かった」「それでも当時のチームでリングを狙えた可能性はあった」とする意見もあった。
多くのファンは今もウェストブルックに深い愛着を持っており、「あの年にチームを背負ってプレーオフに導いた姿に惹かれてOKCファンになった」「あのMVPシーズンは人生で一番心が震えた」「彼はオクラホマの象徴であり、最も大きな像を立てるべき」「骨の髄まで情熱的で、全力疾走をやめなかった」と称賛する声も多かった。現在のOKCが優勝したことでデュラントへの怒りは薄れつつあるという声もあったが、「今でも彼が間違ったと認めないのは許せない」との感情も根強く、ウェストブルックとデュラントに対する評価の差は今なお大きいままだった。
ネットの反応
あれは4年がかりの動きだった
他のチームなら誰も文句言わなかった
デュラントが完璧なバスケがしたいってずっと言ってたからサンアントニオに行くと思ってた
でも選んだのは「一番困難な道」だった
ウェストブルックはそうじゃなかった
ケビン・デュラントは2つ
ウェストブルックは0
要は73勝して、自分に3-1から逆転したチームに行ったのが反感買った
他の29チームだったら誰も怒らなかった
優勝してもアスタリスク付きになると分かってた
実際2つファイナルMVPを取ったけど、ダーク・ノヴィツキーが1つ取る価値にも及ばないと思う
ケビン・デュラント自体は好きなんだけどな
あれでレギュラーシーズンを見る意味が無くなった
ウォリアーズが頭一つ抜けてて決勝まで行くのが確定してる状態だった
なんで今になってこの映像が出回ってるのか分からないけど2021年のドキュメンタリーだよ


コメント
当時具体的に交渉していたのは
OKC残留、MIA、BOS、SAS、LAC、そして前年73勝GSW
感覚的にいえば王朝時代CHIに
バークレーやマローンがやってくるようなもの
パワーバランスいかにぶっ壊したかわかる
バス乗り言われてもしゃーないわ
これKDが責められてるのは意味がわからない
勧誘したのはカリーじゃん
KD在籍前後でも優勝してるのがね
別にKDいなくても勝てますよってなってバスライド感増してる
3
決断したのはKD自身な
3
ここまで無理矢理カリー下げにもってこうとするお前に恐怖
自分を倒したチームに移籍して最も困難な道とか言ったのはマジで意味分からんかった
あの時代のプレイオフ熱かったわ
またクリッパーズで再集結してくれ
やっぱラスも移籍した事よりもGSWに行った事に困惑してたんだな
とんでもないタイミングでサラリーキャップ爆上げしたシルバーは反省しろよ
プライド無いからな
1
最有力は地元のWASじゃなかったか?
ラス怒ってるけどファイナル出た時にラスとハーデンがヘタれなければサンダー勝ってたぞ
まあ当時の全NBAファン(GSWファン除く)はラスと全く同じ意見だったよ
KDへの怒りというか失望というか
今だにイジられてるけど
でもリング2個に抑えたから許して…
まぁフリーエージェントだったし卑怯とかではないが価値観の違いだな
KDも言っていたが、あの頃の「世界がスリーポイントシュートの重要性を理解し始めた」時代に自分以外のスタメンがラス、ロバーソン、アダムス、カンターだからな、限界を感じたんじゃないか
でも外から見てると、翌年もう一回戦えばGSWに勝っていた可能性もまあまあ有ったとは思うが
16
GSWに勝ってもスパーズに勝たないとダメだし
ファイナル行ったら東で西より楽に勝ち上がれるレブロンがいるならGSWに行っても仕方ないと思うけどな
最も困難な道ではないけど
スコットブルックスやビリードノバンの、戦術幅や人脈だとあの辺が限界だよ
だからその反省で
OKC再建期に
お高くても、元SAS世界一のシューテングコーチのチップ・イングランド招集した
強豪は1日にしてならず