ニュース要約
■記事によると
・「聖なる手」の愛称でブラジル国民に親しまれたバスケットボール殿堂入り選手、オスカー・シュミットが金曜日に68歳で死去した。
・遺族の声明によると、彼は15年間にわたり脳腫瘍(脳に発生する腫瘍)と闘いながら、勇気と尊厳、そして生命への愛を持ち続ける模範であり続けた。
・1984年のNBAドラフトでニュージャージー・ネッツ(現在のBKN)から6巡目指名を受けたが、当時はNBA選手が代表活動に参加できなかったため、代表でのプレーを優先して契約を辞退した。
・1987年のパンアメリカン競技大会決勝では46得点を挙げてアメリカを撃破し、米国が主要大会の自国開催で初めて敗北を喫する歴史的快挙の立役者となった。
・オリンピック5大会、ワールドカップ4大会に出場した彼は、両大会における通算最多得点記録を保持しており、1988年ソウル五輪のスペイン戦では1試合55得点という驚異的な記録を残した。
・生涯通算49737得点は、2024年にレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)に抜かれるまで、クラブと代表を合わせた得点数として世界最多の記録であった。
・イタリアでプロ生活の大半を過ごした彼は、現地で幼少期を過ごしたコービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズなど)にとって、憧れのアイドルでもあった。
・ポートランド・トレイルブレイザーズのコーチを務めるチアゴ・スプリッターやアンデルソン・バレジャオ(元クリーブランド・キャバリアーズなど)ら、ブラジル出身のNBA関係者もSNSを通じて偉大な先駆者の死を悼んだ。
・ブラジルのルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ(ブラジル大統領)は「彼の献身は国の名を高め、世代を超えたインスピレーションとなった」と、競技の枠を超えたその影響力を称賛した。
ブラジルの至宝、オスカー・シュミットの訃報に対するファンの反応は多岐にわたる。
「ブラジルだけでなく、バスケットボール界全体における史上最高の一人だ。今の国際的な選手の活躍を見ると、彼が別の時代にNBAでプレーしていたらどれほどの衝撃を与えたか想像してしまう。彼は間違いなくリーグに凄まじいダメージを与えていただろう」という意見が見られる。
「当時のアメリカ人は彼の守備を批判して過小評価していたが、それは間違いだ。スティーブ・ナッシュやダーク・ノビツキーも守備の名手ではなかったがMVPを獲得した。ピーク時の彼がNBAにいれば、オールNBAチームの常連でMVP候補になっていたはずだ」と実力を評価する声が多い。
「1988年のオリンピックで、1試合平均42.3得点、TS%(シュート効率を測る指標)73.3%を記録したのは驚異的だ。アメリカ代表ですら彼を31得点に抑えるのが精一杯だった。パンアメリカン競技大会で米国を破り、ドリームチーム結成のきっかけを作ったのも彼だ」と実績を振り返るファンもいる。
「彼はNBAでプレーしなかった最高の選手だ。当時のルールではNBAに入ると代表活動ができなくなるため、彼は祖国ブラジルを選んだ。その愛国心と忠誠心こそが、彼を真のレジェンドたらしめている理由だ。BOSが彼を指名した時に実現していれば歴史は変わっていただろう」と彼の決断を称賛するコメントが寄せられている。
「彼はブラジルだけでなくイタリアなど欧州でも絶大な人気を誇った。クコッチやドラゼン・ペトロビッチ、サボニスらと共に、欧州バスケの黄金時代を築いた王族のような存在だった。バスケのグローバル化に大きく貢献した一人だと言える」と国際的な影響力に触れる意見もある。
「レブロン・ジェームズが最近更新するまで、プロキャリアの通算得点記録を保持していたのは彼だった。バスケットボール殿堂入りの際のスピーチは、歴史上最も美しいものの一つだ。ビル・ウォルトンですら涙したあの物語は、これからも語り継がれるだろう」と、その偉大さを惜しむ声が絶えない。
「『聖なる手』の愛称で親しまれた彼の、人生にはピアノを弾く人間と、それを運ぶ人間が必要だ、という言葉は最高の名言だ。29年もの現役生活を送り、40代になっても得点を量産し続けた情熱は唯一無二だった。バスケの神様がまた一人去ってしまった」と、彼の語録やプレースタイルを懐かしむファンも多い。
ネットの反応
伝説的な存在のご冥福をお祈りします。
わが国の最大のレジェンドであり、努力と意志の象徴だよ。
オスカーが憧れていたのはラリー・バードだったな。
殿堂入りの際には、バード本人がプレゼンターを務めたんだ。
オリンピックでの平均得点もとんでもない数字だったな。
それにアンドラーデ(レベッカ・アンドラーデ。体操選手)やジバ(バレー選手)たち。
彼らはサッカー以外でブラジルを熱狂させた、数少ない本物のアスリートだった。安らかに。
当時のNBAチームの平均は9.9本だったんだ。
20年後のステフ(カリー)と同じくらい、彼はゲームを革命的に変えたと言えるだろう。
最後に奥さんへ「死ぬまで一緒にいたい」と言った場面は、今聞くとさらに感情的になるよ。
87年のパンアメリカン競技大会(南北アメリカの総合競技大会)で、アメリカ代表を本拠地で破ったからだ。
世界一を守るには、レベルを上げなきゃいけないとアメリカに自覚させたんだ。
88年の敗北もそうだが、87年の出来事は嘘じゃない。
ありがとう、オスカー。


コメント
6巡131位の指名順は、どうせ来ないだろうけど一応引っかけてみるか、って感じの指名だったのかな
もしシュミットがNBA行く気満々だったならどのくらいの指名順だったのか、そんでどのくらい活躍していたのか
興味深いifだな
尋常じゃないレベルの通算記録を持っているんだよねこの人